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#152. wan shan ling


wan shan lingから新しい服が届いた。作り手の声があまりに小さいのでスピーカーとしてここに書きます。

ブランドの型でもあるコラージュ的なリファレンスの散りばめは本作にも見られますが、今回はより思想的な、SF的なものを基軸としているためにこれまでに比べて境目が見えづらく正直言って難解だ。ずっと考えているのですがまだ自分の中で納得のいく解釈というか着地点が見えていない。だから頭の中を視覚化する意味でもちょっと書いてみたい。

まず、今回の作品は、M-65の1stモデルがベースとなっています。1965年米軍フィールドジャケットとして正式採用されて以降、世界中に普及し、ファッションとしても深く浸透した王道ミリタリージャケット。
今回のジャケットはM65と全く同じ縫製仕様で作られています。これをやる上で全く同じである必要があった、そうです。
これをやるのこれとは、ファッションにおける倫理観とタブーについてのwan shan ling的考察です。
仕様は全く同じですが、パターンは違います。わかりづらいのですが、とにかくこのM65と同じ過程を経て作り上げることが重要ということだと思います。
実用的に人を殺めることを目的として大量生産されたこの服は、様々な機能をデザインにより付加され、より簡略化された工程により生まれていることを知る。

戦闘服、所謂殺戮のための服がファッションの世界で許容され、更に大きな価値がつくということ、この歪な倫理観に向き合う行動。ただこれは単純に善悪の話とか平和祈願のためとかに作られた服ではないのはわかります。

ファッションにはタブーとされていることが多数あって、国籍や人種、宗教など、属するコミュニティ単位でのタブーはファション以前にある上で、殊に非人道的な歴史、行為や文化盗用、ポリコレに極めて敏感で批判対象として排除していく流れがあります。 (これもものすごく難しい)
ナチスなど局部的に排除の対象となっているものはあるが、ミリタリーウェアそのものが批判される事はあまり多くない。人によるとは思うが、ミリタリーウェア自体が軍国主義の象徴として反戦思想の対象に直結しないのかも知れないし、街で着用する行為は元々反戦運動からきているという話もある。

で、wan shan lingはこの軍服がタブーの対象であったら、と仮定しました。
これはSFです。フィリップK.ディック的世界のお話。
とはいえ現実世界でも倫理観は絶対不変ではないし何かの出来事で一変することはいくらでもある。
ファッションでも倫理観は常に変化していて、むしろこの倫理観やタブーを打破することでモードは生まれてきている。
今回のwanさんはそちら側の話ではないと思うのですが、倫理観はこれから更に変化していくはずだし、歴史という時間軸もフラットになる可能性もある中で、過渡期のいまファッションで自分は何をやっていくべきか、この「いま」を体験できることにとてもワクワクしている、とwanさんは言っていました。
それを聞いた上での今回の作品はとても興味深いし、今やることに意味があるんだと思った。

色々服のディティールについて書くつもりでしたがそれはあまり意味がない気がしてきた。長くなりそうですし、やめます。
実際の服を見て、着て感じることや気づくこと、そこでもっと有機的な会話ができると思っています。わからないことも含めてwan shan lingの服からはいつも面白いことが生まれる。ひとりで考えてもわからないから話をしたいと思うのです。
うーん、書き始める前に目指したのとは違う着地点になっちゃたな、こういうこともある。

このカーキの他にブラックが6月中旬に入荷予定です。