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#158. JEWELLERY


昨年は素晴らしいジュエリーを多く迎えられたことを誇らしく思っています。
自分はジュエリーに強く惹かれます。
もしかしたら洋服以上かもしれない。
海外に行く時はその都市にあるジュエリーのギャラリーを必ず訪れるようにしている。
金銭的に毎回は難しいが、アートジュエリーをゆっくりゆっくり集めている。
いつか何かができたらいいな、という夢もある。
Casimir Pulaskiday. をスタートしてもうすぐ丸8年経つが、当然変化はありそのひとつがジュエリーの重要度かなと思う。
見るだけだった存在から取り扱う存在へと、出会いの中で少しずつリアリティが湧いてきた。
できるかわからないけどやってみたい。

ジュエリーとひとことで言っても、ファッション的ないわゆるコスチュームジュエリーと呼ばれるものもあれば、高価な宝石や貴金属で作られたハイジュエリーやファインジュエリー、コンテンポラリージュエリーは現代アートやコンセプチャルな要素も含む。すべてに明確な線引きはなく呼称も様々、価格もハイジュエリークラスのコンテンポラリージュエリーも多くある。
他にもアンティークジュエリーや民族系ジュエリーなどもあるし、一括りにはできず本当に多岐にわたるわけですが、どれも好きだ。 見ること、身に付けること、所持すること。
どれをとっても自分には不可欠で自分を構成する上で非常に大切な存在です。
それはジュエリーのもつ単位だということに気づいた。
コンセプト、マテリアル、職人術、テクノロジー、オブジェとしてのアート性を人が身に付ける装飾品という枠でみることに高揚するんだと思う。とするとやりファッションの地続きでもあるということが大きいのかもしれない。
ファッションという流れの早い文化の中で触れる芸術的で硬派な存在。

ジュエリーには様々な定義があるが、ある定義において全てのパーツ、留め具なども含めてオリジナルであるということをギャラリーの方に聞いた。
※作品上で使用する例えば写真だったり自然物はコンテンポラリージュエリーでよくみられこれらのマテリアルは問題ない
ファッション上ではアクセサリーも総称でジュエリーと呼ぶことが多いが、ギャラリーなどに置かれる作品は徹底している。
また取り扱う側の規制もあり、ミラノではジュエリー保管庫としての規準を満たした環境がなければを取り扱うことはできないとこれもギャラリーのおじさんが言っていた。その辺は国によるようだが。
Casimir Pulaskiday. で取り扱う中ではAdam Hendersonと COLOMBE D'HUMIERES が前述のそれに当たる。100%ハンドメイド、既製パーツは一切ない。
Emily Frances Barrett もほぼそうだが、チェーンや留め具は一部既製品を使用している。
ハンドメイド故に身に付ける上での扱いづらさは否めない。自分がもっているジュエリーたちも正直付けづらいし、非常に繊細なものもある。
それでいいし、それがいい。それを所持して、時折り箱を開けて見たり、更に時折り、大切にがんばって身に付ける、そしてまた仕舞う。
身に付けることで精神的にファッションから少し距離をとることができる。私はファッションに向いてないと思うから、この距離の取り方でバランスをとっているところはある。

ファッションとジュエリーをこの小さな店の中でどのように存在させるべきなのか、まだまだ難しい。
当然それぞれのアーティストや作品毎に違ってくるけど。
自分なりの距離感とバランスを店でも表現できならと日々考えている。

暫く書いていなかったけど、今あるジュエリーについてはちゃんと書きたいと思っています。
どれも無くてはならない人とものばかり。
続く。