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Showing posts from June, 2024

#153. De Pino

最近あるお客様がDe Pinoの服を見て言った「シュルレアリスムのアートを見ているようです」という言葉がシンプルで的確でとてもいいなと思った。自分の中のDe Pinoの世界観を後押ししてくれる言葉。 シーズンを重ねるごとに増すこのブランドの非現実性に私は興味があります。ファッションの流れの中でこちら側に向かうことは商業的な安定よりも自己の美学を追求している表れだと思うからです。 ビジネス的に動くことが悪いということじゃなく、ビジネスを見据える段階がブランド毎に違うと思うので、タイミングとかやり方含め、その舵取りが重要なんだと感じます。 De Pinoだってそこは考えているはずで、その上で今はこちらに集中しているのかもしれないし、または別の何かを見据えているのかもしれない。 24SSのDe Pinoは着てくれる人を選んでるようでその媚のない佇まいがいい。 無駄がなく記号的で、確かに芸術的な視点を含みます。 さてこれを着るのか着ないのか。これは「ファッションはアートなのか」論争へと繋がっていく可能性を秘めている。いち側面として。 もちろんこのコレクションは着れる。服として真っ当に成立しているし洗練されている。だからすごいんだ、とハッとする。 私はこれをファッションとしてやってくれたDe Pinoを尊敬しています。 夢を見せてくれるブランドはそう多くない。この規模では更に。 次は、次は、というのは酷だ、今のこれなのだ。私はわかった。

#152. wan shan ling

wan shan lingから新しい服が届いた。作り手の声があまりに小さいのでスピーカーとしてここに書きます。 ブランドの型でもあるコラージュ的なリファレンスの散りばめは本作にも見られますが、今回はより思想的な、SF的なものを基軸としているためにこれまでに比べて境目が見えづらく正直言って難解だ。ずっと考えているのですがまだ自分の中で納得のいく解釈というか着地点が見えていない。だから頭の中を視覚化する意味でもちょっと書いてみたい。 まず、今回の作品は、M-65の1stモデルがベースとなっています。1965年米軍フィールドジャケットとして正式採用されて以降、世界中に普及し、ファッションとしても深く浸透した王道ミリタリージャケット。 今回のジャケットはM65と全く同じ縫製仕様で作られています。これをやる上で全く同じである必要があった、そうです。 これをやるのこれとは、ファッションにおける倫理観とタブーについてのwan shan ling的考察です。 仕様は全く同じですが、パターンは違います。わかりづらいのですが、とにかくこのM65と同じ過程を経て作り上げることが重要ということだと思います。 実用的に人を殺めることを目的として大量生産されたこの服は、様々な機能をデザインにより付加され、より簡略化された工程により生まれていることを知る。 戦闘服、所謂殺戮のための服がファッションの世界で許容され、更に大きな価値がつくということ、この歪な倫理観に向き合う行動。ただこれは単純に善悪の話とか平和祈願のためとかに作られた服ではないのはわかります。 ファッションにはタブーとされていることが多数あって、国籍や人種、宗教など、属するコミュニティ単位でのタブーはファション以前にある上で、殊に非人道的な歴史、行為や文化盗用、ポリコレに極めて敏感で批判対象として排除していく流れがあります。 (これもものすごく難しい) ナチスなど局部的に排除の対象となっているものはあるが、ミリタリーウェアそのものが批判される事はあまり多くない。人によるとは思うが、ミリタリーウェア自体が軍国主義の象徴として反戦思想の対象に直結しないのかも知れないし、街で着用する行為は元々反戦運動からきているという話もある。 で、wan shan lingはこの軍服がタブーの対象であったら、と仮定しました。 ...