Skip to main content

#89.DZHUS

 
DZHUS20AW"MISCONCEPT"(思い違い、誤った考え)

 「人間と服」この2つの関係性を掘ってきたブランドだと思っているのですが、今回はそこに「社会」という3点目が追加された。
 この外的視点が入ることで「ファッション」に近づくんだ、ということを今回学びました。
 “must-have”なステレオタイプの概念、過剰消費、その辺の今日のファッションに対する「誤解」をIrinaの分析と理論と手法で服に興した今シーズン。
 その中で今回は5型。
 DZHUSというブランドはファッションの流れとかカテゴリーとかそういうのにあてはまらなくて、「DZHUS」なのです。
 ブランドの中では流れがある、むしろ屈強な流れが。
 でもファッションという枠内においてはちょと違う。もちろんそれはいいことでもある。
 この20AWコレクションを初めてみたとき、物凄い衝撃を受けたのですが、実際に着てみるとほお、これはぜんぜん着れるじゃないかと。
 むしろ今までよりリアリティがある。ストリートウェアとじゅうぶんに言える。
 DZHUSは私にとってはとてもドリーミングな存在ですので、掴みどころがなく少し浮世離れした空気感を纏います。デザインの強い弱いに関係なく、それはシンプルな服も。
 例えばリックはトレンドを捉えていてその上で別のことというか先のことをやっていると思っている。だから人が街で着るイメージが湧くな。ぶっ飛んだ服でもそのニュアンスがちゃんとある。
 今回のコレクションにはその辺のイメージが少し、そして確実にあると思っています。
 いい意味で隙があるから他と混ぜてもあまり違和感がない。
 ※混ぜにくいピースもあります。これもいい意味。
 初見(初着)で感じたこの感覚、そしてそのあと今回のテーマを聞いて私はものすごく附に落ちたものです。

 トレンドは大量生産大量消費を生む。
 この現状を皮肉って、例えば今年、トレンドの服を一個買ったら来年は別のトレンドスタイルをこれ1着で作れちゃう、そしてその次の年も、、、ということらしい。
 
 面白いな。DZHUSなりのアンチテーゼ。しかも前向き!
 トレンド、みなさま感じますか?どうでしょうか。ふん。

    「シンプルなもの=一生着られるもの」 という価値観がありますが(大嫌い)、長く着るという視点において、DZHUSのやってることは似て非なるものだ。
 着回しという技を、デザインを以ってやっている。しかもものすごく強いデザインで。
 デザイン(=コンセプト)があるから一生着られるのだと、彼女は言いたいのだと思う。同感。

 コンセプトにはじまりこの構造に耐え得る上等な生地と仕立て、縫製、手法。
 下手したらノイズにもなるトランスフォームの為のパーツたちだって、これこそデザインと錯覚する妥協ないレベルで構成されています。
 このノイズについては思うことがあるのです。
この部分で、服として、DZHUSのやってることに100%賛同できなかったところがある、正直なところ。
 Irinaにこの観点があるのかはまだ聞いたことがないけれど、彼女のパーツを見ればうん、たぶんあるんだと思う。
 デザインとするもの、逆に隠すもの、明確だ。彼女のその判断はいつも興味深くて、ノイズはDZHUSにとっては美学の一部だと説いてくる。

 今回もちゃんと感動した。毎回涙が出ちゃう。戦ってる服だから。Irinaの強い眼差しが目に浮かぶ。