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Showing posts from December, 2019

#66. No title

  Rufus Wainwrightを聴いている。 年末のムードにとても合うな。 本当に不思議だ。 自分がやっていることに名前がついたこと。 Casimir Pulaskiday. という名前がついた。ま自分がつけたんですが。 でも、ここに来てくれる人が「カシミール」という言葉を発してくれるたび、とても不思議な気分になる。 ほお、存在している。 一人で歩いている(店が)。 と思う。 自分では「カシミール」と自分の店を呼んだことはなかったのですが、(フルネームで呼んでいる。) でもみんなそう言うから自分もたまにそう言うようになった。 だからなんだといった類の話ですが自分にはわりと心にとまる現象なので書いただけです。 なんで読んでくれるんだろうか、 たぶん読んでくれなくてもいいから書きたいことを書きます。 だから私は悪くない。 でもありがとうと思っています。 ありがとうございます。 ここに来てくれる人は相変わらず少ないけれど、でもこんなに素敵な人が来てくれるんだから。 大丈夫、これであっている。 良いお年をお迎えください。 年始はたぶん5日からです。

#65. Gabriele Skucas の愛のある服

  この冬。 お店には、Gabriele Skucas のニットが3個やってきました。 これで全部で6個だ。 嬉しい、自慢したい。 Gabrieleのスーパーマジカルドリーミングタフモードエターナルラブニットが6個、我が店にある(あった)ということは これははっきり言って自慢である。 センス、技術、そして愛がなければこのニットは編めない。 編み目に収められた彼女の優しい心は、服を見れば一瞬で感じる。 着たら電光石火です。 服に愛なんていらないと言われればそれまでですが。 機械で量産された服と、糸から手で紡がれた服とでは、どう考えても価値は違うのだ。 人の手は時間も掛かるし金も掛かる。 「掛かる」ということは人がこれに「掛けてる」ってことでそれは想いであって時間がのっかって、 それは感じながら作られた服なんだ。 要するに愛です。 と言っても、別に手作り万歳のアルチザン信者でもアナログ主義でもなんでもなくて、量産の心地よさもありますし。 ただ私は言いたい。 Gabriele Skucasのニットは手編みとか以前にめちゃかっこいいと思う。 そしたら結果手編みだった。 だったらもう最高じゃん、ていうことです。

#64. 絵のないブログ

  モノクロの画面。 あるはずの写真はそこにはなくて、 あるのは言葉とイメージ。イメージ。 感謝と敬意を込めて。 あの子はまだいます。 あなたを待っているのよ。