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Showing posts from June, 2022

#129. ISA BOULDER

ISA BOULDERが如何に鬼かという点について。 まずコレクションの型数が異常に多い上にカラーオプションの数が更に異常だ。ファブリックも含めるととんでもない。 このクリエーションレンジで、だ。 もう鬼だよ、デザイナーのCeciliaさんはもちろんだけど、生産管理も超有能に違いない。 シーズンを追うごとに鬼度が上がっている。 ビジョンが素晴らしく強靭で、そのビジョンを高感度を保ったまま具現化する環境。 本当に選べなくて苦しい。ビッグオーダーができたらまだ楽なのにな、このブランドをこの店に収めるなんてどうがしている。 この22SSで私は更にISAさんが好きになりました。 流行を貪るトレンドセッターを挑発しているかのように見えてしまう。 着やすさとかわかり易さとか便利さとか。 そんな願望はこの服の前では瞬時に淘汰されますが、代わりに別の欲望が湧いてくる。 先行してコスチューム感が強いですが、”着飾る”という思考とは少し違う気がしています。 着飾るというのは、その対象への理解や定義が不要な行為だと思っていて(完成したスタイルには定義があるかもしれない)、ISAさんの服は、個体単位での解釈が必要だと思われる。体の前に頭を使う。 何も考えずに着られたらある意味でそれが最強かもしれないです。自分には無理だな。 そこに思想が在るとどんな格好をしていても自然に見える。 当然だ、その人がその服を自己解釈して着ているから環境とか趣味嗜好は関係なくそれはまったく理にかなっているということ。 ただその解釈には正否がないし、延いては完全に解らなくても結果は大して変わらないと思う。自分はわからないから着るのをやめる、ということは絶対ない。 考えた結果解らなかったものは、こういうことではないか、という仮定の元いったん着てみる。 語弊がありそうだからまた言いますが、合わせとかスタイリングの問題ではないです。個体単位で。 個人的には、「定義してみる」ということが重要だと思っています。そうすると着られるものがまた変わってくる。 もちろんその時のコンディション、体力とか気力とかが作用するけど、服を癒しの対象にすると痛い目に合う。 服もそんなつもりで服になってないだろう。ジェラートピケだってたぶん違うと思う。 因みにジェラートピケも私は頭を使って着

#128. After the POP UP

また遅くなってしまった。もう1週間過ぎたというのにまだ眠い。 芦屋POP UPのことを書きます。 初めて訪れたアッパータウン、芦屋。 やはりというか、まあ場違い感は多少あった。 一階のギャラリーは芦屋マダムたちの合同ポップアップで終日大盛り上がりだったが、B1のカシミールさんはブレずにいつも通り。 でも出会った皆さまが優しかったのでたぶん大丈夫だろう。 まさかの芦屋ご在住の方の温かいお心遣い、わざわざ遠くから来てくれた方(兵庫在住の方でも芦屋に来ることはほぼないらしい)、そして残念ながら予定が合わずだったのにご丁寧にお言葉を送ってくれた方、皆さまがとってくださった行動のすべてに私は感謝しかなくて、いつも同じようなことを書いてしまうけど、これ以外に言葉がないです。 服たちを通して確かに心が通った時間を過ごすことができた。本当にありがとうございました。 お借りしたColle Caveの空間がまたとてもよかった。 いつもの古い小部屋で健気に生きる服たちが見違えて最高にクールで惚れ惚れしました。 スーパークールだよ、すす汚れたラックの棒たちを一生懸命白塗りした甲斐があった。 POP UP用にwan shan lingさんにがんばっていただいたモスリンガーゼシャツについて簡単に少しだけ。 ご多忙のなか3着の予定で動いてくれましたが、1着だけ間に合わず芦屋では2着お披露目できました。 今回も例に漏れず、すべて一点ずつ、念願だった初めてのプリントはハンドステンシルによって描かれています。 wanさんによるセディショナリーズシャツという感じか。 ダブルガーゼ生地を、身頃と袖すべて更に二重に重ねられた(切替なしのロール状に)、計四重。 重みと軽さが混在した独特な着心地とシルエットでした。 前も同じようなこと言ってたけど前回は精神的な意味合いが強い、今回は物理的。 製品後洗いをかけられ着るほどにダメージを負い、右袖にはそれぞれのプリントにリンクした形状の「穴」が施され、wanさん流にパンクファッション(セッズシャツ)のセオリーを踏襲している。 3着目も後日無事、東京にて受け取りました。 本当はもっと多角的な意図がこの3着には乗っかっています。 さらっと書いたけど、間違いなく「wan shan lingの服」です。 未練がまし