またかと思われそうですが、またです、wan shan ling
今年最後の入荷なので。
2025年はwan shan lingの作品をたくさん迎えることができました。
ラストを飾るは今年新たに取り組んだアップサイクルワークです。
MA-1のリメイク、有象無象の無法地帯でwan shan lingさんが何をするのだろうか、と次作のお話を聞いたときにまず思った。
そこに参戦する意義とリスクを秤にかけてしまった。意義が優るからwanさんはやるのだろうけど、そもそもリスクは考えていないかもしれない。
wan shan lingの創作には常に定義がある。
今回のそれはこのリメイクという行為自体への再定義です。
エコロジー、エシカル、希少性、文化継承など、他にも様々な優位性がユーズドアイテムにはあり、ファッションでも古着は不可欠な市場であり文化だ。
デザイナーズヴィンテージやアーカイブなど、ジャンルも細分化され呼称も様々、かつて貧民の着衣であった古着(ボロ)が現代では市民権を獲得し新たな価値として社会に求められ、セレブやハイエンドなシーンにおいても新作ではなくデザイナーズアーカイヴのマスターピースをピックアップされることも増えてきた。
自分はビジネスとして古着市場と関わることはないが、取り扱うデザイナーさんを通してアップサイクルに向き合っている。
Lindaさん、そしてwanさんもここ最近熱を入れて取り組んでいる。
外を見ても世代、ジャンル問わずアップサイクル、リメイクブランドが本当に増えていると皆さんも感じていると思う。
この状況は単なる流行ではないだろうしある意味必然の流れと言える。
この先新しいものを生み出すこと自体が難しく、はたまた悪ともなりかねない。
求められるものは過去にあって、いま新たに生まれるものは過去を超えられないという風潮はなんとなくだが一部ではあるのかもしれない。
だとしたら不思議なことだ、圧倒的に現在の方が可能性があるのに、環境的にも物質的にも経験値としても。
それはファッションの慣習としてリファレンスやサンプリングをアーカイヴから行うことも大きいと思う。
ビッグメゾンであるほど顕著で、ハウスの歴史継承の上に発展があるから。
その流儀をブランドを超えて敬意や道理なく表面のみを掬い取り安易に簡略化した結末が先述の風潮だと思う。
因みに書かなかったけど前回のWSLのナポリシャツはこのファッションにおける格式、文化継承に向き合った作品でした。
話をリメイクに戻すと、リユースとして古着に現代の新しい視点、アイデア、工程を持ち込んで新たな価値を付加することがアップサイクルでしょう。
元より一点ものの価値にユニークなデザインが付加されさらに希少性は上がる。
のはずだが、価値が下がる可能性だってある。
たぶんデザイナーズアーカイヴやレジェンド古着を着る人とリメイクを着る人はあまり被らないんじゃないかと思う。価値のあり方が違うのか。
寧ろリメイクは別に古着である必要はない。
自分でパーツを追加したり破いたりするのは元々パンクスのカルチャーでもあるし、リメイクと古着、アップサイクルを同属とするのは少し安直だな。
いずれにしても、リメイクは元を上回らなければならないが、それはそれを着る人にとってであればよい。
難儀なのか容易なのかわからないな。
極めて個人的な行為で本来は自分でやるべきことだ。
wanさんが他人の為にやってくれたリメイクはこちらです。
90年代アメリカ製ALPHA INDUSTRIES MA-1に描かれた生々しいグラフィックはひとつの源流を持ちそれぞれ異なる宗派で表現されます。
本来の役割、シンボルを取り除くwan shan lingの不条理性と、その行為に別コードをもたらすビジュアルアート。
一線一線に宿るパトスは本来のリメイクの精神性に忠実で反骨心とリアリティが存在している。
ここがwan shan lingの言う解像度なのだろう。
ただ例に倣い切って縫って取って付けるのリメイクがいかに不感で商業的であるか。
それなりにいい感じに見えるのではリメイクとしては成立していないかもしれない。
そこに何か理解し得ない、触れ難い、所持者以外に入り込めないものがなければ意味がないのかもしれないと、本作を受けて解釈に至った。
手数は問題じゃない。点ひとつだっていいのだ。
この絶妙なラインの見定め、配分量がものすごく繊細で緻密でこういうところがwan shan lingは本当にすごいと思う。
アウトラインを常に計って決して知性を削ぐことがない。
やはり有意義でした。
締めに相応しいのが書けた気がする。
よい年末年始が迎えられそうだ。
Happy holidays⭐︎
