まず最初に、大阪POP UPへご来店いただいた皆さま本当にありがとうございました。
ここは本当に大阪かと思うくらいCPD.の時間が流れていたと思う。とても幸せなことだ。
年に2回。
この距離を愛おしく感じます。
wan shan lingの最新作について。
まったくとんでもなく時間がかかってしまった。
普遍的なGジャンと5ポケットパンツの様相を呈したままにその同一性は既にありません。
例えばこれらは礼服であると言ったら誰がそれを認識できるのだろう。どのような解釈で。
人かAIか。
形式的に理解できても定義できるだけの材料が不足している、または有り余る。
あるはずのものがないとき、それはいつ失われたのかを考えてみる。
誰が失ったのか。その意図は。
逆も然り。
誰かの視線、体験、感情の継承、変質とその所在。
古いイメージをかたどること。それを引き受けること。
別に考える必要も時間もないのかもしれません。
これらが古着のデニムに絵が描いてあるやつであっても感覚的になにか少しでも違和感が残ればそれでwan shan lingの目論見は達成されていると思う。
が、そこに潜む解釈の余地に意識を向けるということはスピード重視のファッションで、着る側にこそ潜在的な可能性は広がっていると感じる。
それを高次元で引き出せるデザイナーはあまりいないんじゃないか。
作品に対面した皆さまが口にする言葉はどれも多角的で含蓄に富み、また新たな論点と理解に繋がった。
言葉はどんなに反抗的な言葉であっても極めて結合的だと私の推しが言っていた。
あまり有益な情報ではないかもしれないけどこれが自分に書けるすべてです。
ありがとう。


